Cさん視点の話

意味なんてないよ

先に生まれただけの人

20歳を超えると、人は将来への夢想よりも過去を回想しがちになる、というのはよくあることだ。人生はlogを取ると比例になると考えると、20歳は2泊3日の3日目の朝くらいだから、まぁそうなるのも無理はない。

若いというのはいいことだ。人は年齢を重ねれば重ねるほど良くも悪くも歪んでいく。そして、一度曲がった針金がもうまっすぐにはならない。それゆえ過去というものは美化されるのかもしれない。しかし思うに、やはり子供時代には人間誰しも善であったと僕は思っている。いつだって人を歪めるのは経験だ。

しかし、若いうちというのは間違いを起こす。経験がないが故のものだが、その純朴な精神から生じた間違いは、時にひどく残酷な悪意となって他者を傷つけることがある。それは大人相手に起こるならばまだ傷は浅いけれど、同じ子供相手にはその刃は鋭く突き刺さり、被害者加害者共に今後の人生に爪痕を残す。それを正しく監視し、制止するのが子供に対する大人のあり方だと思う。

よく教育業は性悪説に基づいていると言われる。噂話に聞く、理不尽な校則を見るとそうなんだろうなという感じはしてくる。けれど僕としては、教育こそ性善説に基づかなければならないと思う。子供達に正しい「堕ち方」、もとい処世術を教える、そうでなくてはいけないと思う。少なくとも今の「監視」「管理」「矯正」といった教育理念は根本的に間違っている。

勉強というものは強制されてやるものではない。運動みたいなもので、そりゃやった方が良いけれども、やりたくない人に無理やりさせるものではない。けれども昨今のテレビでは勉強=つらい、高学歴=つらいことを頑張ったストイックな人、みたいな考えがはびこっている。そりゃそういう奴もいないことはないけれど、基本的に大学とは勉強マニアが勉強するための施設で、そんなやつはきっと大学側もいらないだろう。

勉強の学問としての楽しさ、知ることでできることが増えてく喜び。そういったものを教えられず、つらいことをやり抜くことの達成感が勉強の神髄だと説く教師は世の中に量産されているわけだが、そんなやつは、自分より弱い人の前でしか威張れない、やりたいことが見つからなかった就活したくなかった人と相場が決まっているので、生徒の足引っ張って国に損害を生むよりは、ごみ収集車を毎朝動かして誰でも人の役に立てるような仕事をすべきだと思います。今回は毒舌ジメですね。これが言いたかっただけです。