Cさん視点の話

意味なんてないよ

所感

みなさんこんにちは、お久しぶりです。どうもジョニーデップです。

最近気づいたことがあってですね、どうも自分は創作活動には向いてないなってことですね。多分そういうのに向いてる人ってのは2つの素質が必要で、一つは向上心が高いこと。これは僕自身精神的に向上心がないバカなのでダメと。それから締め切りを守ること。これはてんでダメで、というか自分「習慣化」というものが向いていないなと。これはまぁ日頃の生活を見てりゃわかると思うし、実際このブログの更新頻度を見てもらえりゃいいと思います。けどね、gw初日らへんに約束しちゃったので、なんかしら描きますよ。なのでこれからの文章は創作物ではなく、ただの雑記です。面白い(だろうと思ってる)ギャグも可愛い(と思ってる)キャラも出てこないけれど、可愛いキャラは脳内で各自補完して下さい。その方がいいはずです。

さて、昨今はもうだいぶ元号ブームも治まりましたが、だいぶ街は賑やかになりましたね。「令和」という新元号はすこぶる好評で、ごく一部の逆張りオタクを除けば概ね順調に新時代へスタートを切れたのではないでしょうか。元号を変えたり、紙幣デザインを変えるだけでこんだけ盛り上がれるんだから、過去の日本の人たちが天災のたんびに元号を変えた気持ちも分からなくはないです。まぁ平成から昭和に移り変わる時ってのは国を挙げての葬式だったから、今とはだいぶ様子は違ったようですが。

ではなぜ人は元号が変わるだけで歓喜できるんでしょうか。それはおそらく、誰しもが、きっかけを欲しいと思ってるからではないでしょうか。

物事ってのは必ず連続的に移り変わっていくものです。だから我々はコタツをしまう時期やクーラーをつけ始める時期を自らで決定する必要がある。でも自分含めて多くの人はズルズルと決定の時期を先送りにして、なぁなぁにしてしまう。だから我々は1年を12個に分けて、4つの季節に分けて、この日から冷やし中華を始めましょうだとか、この日からはクールビスにしましょうなんかを決めるわけです。別にその1日前と1日後で、気温も、冷やし中華の味も、劇的に変わるわけではないのに。

そして、新しい時代というのも多くの人にきっかけを与えたはずです。令和になったからブログ書こうと思ったし、それと同じように、最近会ってないあの人に会おうだとか、ジョギングを始めようだとか。何かあの5/1を境に世界の全てが新しく変わったような気がするんです。

そしてそれは気のせいです。平成の空気の缶詰が1000円で売ってたりしますが、平成の空気も令和の空気も、何一つ変わってないはずだし、いきなり痩せれるわけでもないし、ブログを定期的に更新する筆まめになるわけじゃないし、何一つ変わってないじゃんかと思うわけですけども。ただ人は何かしら行動する勇気がもらえるわけです。令和の自分は平成の自分とは違うかもしれない。そう思い込むことこそ、本当に変わるための一歩なのかもしれません。

ということで、これからもなんか書きたいことこと、思ったことをつらつら徒然と書こうとは思いますが、多分つまらないので、入学式の式辞くらいの感じで読み飛ばしてくれればと思います。いじょう。